イエスの足跡 
 【Position】   Home--->資料類--->>Home Page書庫--->>>イエスの足跡を追う
 イエスの足跡を追う
         あしあと ではありません。 そくせき です・・・・
     書庫保存版
「弟子達の活動、ゆかりの地シリーズ」に移動   「モーセの道」に移動    次ページに移動
目次
 イエスが育たれた町 (ナザレ)
 公の活動開始の準備 (ヨルダン川)
 ユダの荒れ野、四十日山 (誘惑の山)
 伝道開始の地  (ガリラヤ湖畔「祝福の山」)
 イエスの初期の伝道基地  (カファルナウム)
 南地方のイエスの憩いの家  (ベタニア)
 エルサレム入城前に立ち寄った町 (エリコ)
 ペトロから信仰告白を受けた地  (フィリポ・カイサリア)
 宣教の最終の地  (エルサレムへ)
10  悲しみの道 (ヴィア・ドロロサ)
11  復活後ペトロ達の前に現れる (ガリラヤ湖畔) (次ページに掲載)
12  イエス昇天の地 (オリーブ山) (次ページに掲載)
13  聖霊降臨の地 (エルサレム・シオンの丘) (次ページに掲載)

記事
 ナザレ    写真   いのちのことば社 「Jばいぶるマップ」、1999年 から
(マタイによる福音書2章23節)
 ・・・ 「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
今日のナザレの町

  - - - - - - - - - - - - - - -
ガリラヤのナザレはイエスが育たれた町。 中央の教会はフランシス受胎告知教会。  

写真の上にマウスを移動すると 教会に"接近"

目次へ
 ヨルダン川    Photo by Michal Mojzykiewicz (from "The World of the Bible −The Way of Jesus")

  イエスが公の活動に先立って、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けたのはヨルダン川でした。イエスは、出身地ナザレからエルサレムに行く場合、ふだんは近道であるサマリヤ通過を避け、一旦ヨルダン川を渡って東岸のペレヤ地方(川に沿って南北に細長い地区)に出てから南下しました。その後西岸へ渡りエリコへ出て、エリコ街道を通ってエルサレムへ行く場合が多かったようです。

------------------------------
(マタイによる福音書3章13〜14節
そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

目次へ
 ユダの荒れ野、四十日山(誘惑の山)  写真  講談社 図説 大聖書、1981年 から

  ユダの荒れ野は厳しい自然ですが静かな場所です。イエスはそこに“霊”によって導かれました。 エリコから西へ4キロほどのところに険しい断崖を伴った山があり、そこにはしがみつくように修道院が建っています。この山は「カランタル(四十日)山」といい、その名はイエスが四十日間隠遁、断食をしたことに由来しています。またそこには「イエスの洞窟」と呼ばれている洞穴があります。

--------------------
(ルカによる福音書4章1〜4節)
さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
目次へ
 伝道開始の地  (ガリラヤ湖畔「祝福の山」)
   写真  : いのちのことば社 「Jばいぶるマップ」、1999年  から

ガリラヤ湖から見上げたいわゆる「山上の垂訓教会」(正式には、「八福教会」:フランシスコ女子修道会所属教会)

《マウスを写真上に移動すると、逆に、この教会から湖面を見渡した写真に変化。》

マタイによる福音書では、有名な垂訓は《このような丘》でなされていますが、ルカによる福音書では長い準備(宣教)のあと《平地》でなされています。 どちらが正しいか結論ははっきりしていません。 しかしイエスの教えにはなんらの疑念はありません。 マタイはいろいろな機会になされた主の教えを「山上の垂訓」としてまとめたと見られています。 ここでの教えの多くは、ルカやマルコによる福音書では他のところに置かれています。
マタイによる福音書5章1〜3節   イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 ・・・・・・」
ルカによる福音書6章17〜20節    イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。 群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。・・・」
目次へ
 イエスの初期の伝道基地  (カファルナウム *)
[ *注;  口語訳聖書、新改訳聖書では"カペナウム"と表現されている。]
 カファルナウム会堂跡
 イエスはカファルナウムを伝道の基地にしました。この会堂の地にしばしば訪れたようです。イエスは会堂で教え、多くの病人をいやされました。
 下記聖書箇所(ルカ7章)に出てくるローマ兵指揮官の百人隊長はユダヤ人から見れば異邦人でしたが、駐屯地のこの町にイスラエルの神への信仰のための会堂を建て、地元のユダヤ人達から好感を持たれていました。ユダヤ人達はこの異邦人の願いを熱心にイエスに取り次ぎました。そしてこの異邦人である百人隊長は神が遣わしたイエスへの信仰を告白しました。この出来事はイエスのもたらす救いはイスラエル人だけでなく、全人類に及ぶことをイエスが直接示されました。
《この写真の会堂跡はイエスの時代より150〜200年後に建て直されたもの。イエスと出会ったこの百人隊長がイエスに出会う以前に建てていたものは、この写真のものより簡素なものだったでしょうが土台など一部はそのまま使われました。》
  Photo by Michal Mojzykiewicz (from "The World of the Bible −The Way of Jesus")
(ルカによる福音書4章31、32節)  イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。
上記記事関連(聖句)聖書引用
ルカによる福音書7章1〜10節
 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。  わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。  ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。
目次へ
6  南地方のイエスの憩いの家 (ベタニア *)
[ *注;  現代ではこの地名は"エル・アザリヤ"と呼ばれている。]
 イエスと弟子達は各地を巡り歩き、(前回の)北の拠点カファルナウムに対して、南の地方にも憩う家を見出しました。「南の憩う家」の地はベタニアです。イエスがここをを訪れた際ここのマリアとマルタの姉妹に大変歓迎されたのでした。ベタニアは、エルサレムからエリコへ下る道沿いの村で、エルサレムから南東3kmの位置にあります。イエスは、伝道の途中、しばしばこの村に立ち寄りました。そこに住むラザロ、マルタ、マリヤを大変愛しておられました。イエスは受難の最後の週にもベタニアに滞在し、ここからエルサレムに通ったようです。ここベタニアでは、マルタがもてなしの心配をして、イエスがマリヤを模範としてマルタをたしなめたことや、死んだラザロがよみがえった奇蹟、マリヤがナルドの香油をイエスにささげた出来事等がありました。また、ここはオリブ山の東側山麓であり、イエスの昇天の場所の近くと言われています。
(写真) オリブ山の東側斜面にあるベタニア。十字軍時代の石積みが残る場所は、重い皮膚病のシモンの家があった所と伝えられる。この近くにある洞窟内を下ったところに「ラザロの墓」がある。左はギリシャ正教の会堂。
Photo: いのちのことば社 「Jばいぶるマップ」、1999年 から
【聖書・マルコによる福音書14:3から】
イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
目次へ
エルサレム入城前に立ち寄った町・・ エリコ
エルサレム、エリコを結ぶ古い道
マウスを写真に重ねると、エリコの新市街ならびに
廃墟を同時に臨む写真に切替わります。)

【ルカによる福音書 10章 30〜37節】
イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。

 エルサレム、エリコ間は約25kmあります。このローマ時代の古い道は、現代も寂しい荒野の中を進みます。イエスもこの急な坂道を上り、あるいは下って旅をされました。イエスはこのエリコで取税人ザアカイと出会っています。また目の不自由なバルティマイを癒しました。エリコへ続くこの道の先にはワディ・ケルトの谷の深い断崖に沿った道が続きます。強盗が出そうな怖い場所です。「善いサマリヤ人」の例え話はこうした環境が背景にありそうです。
------------
エリコ街道の途中にあるワディ・ケルトの谷の断崖に建つ聖ジョージ修道院
 
 ("マウス・オン"で街道から接近)


Photo: by いのちのことば社 「Jばいぶるマップ」、1999年
and by
Michal Mojzykiewicz (from "The World of the Bible")
目次へ
ペトロから信仰告白を受けた地・・フィリポ・カイサリア
 フィリポ・カイサリア(*)の岩山の洞窟
ここはガリラヤ湖の北約40kmにあり、高さ約2,800mのヘルモン山のふもとの高原に位置します。この洞窟から湧き出した水流はヨルダン川の四つの水源の一つになっています。

(*)ここは、地中海沿岸にあるカイサリアと区別のため フィリポ・カイサリア と呼ばれました。この地は現代ではバニアスと呼ばれています。


 あるときイエスは弟子の中でも直弟子とも言える者達だけを連れてガリラヤから北に向かい、フィリポ・カイサリアに来ました。イエスは、ここで(後にペトロと命名される)シモン・バルヨナから”正しい”信仰告白を受け、彼を使徒の長に任じました。この時からシモン・バルヨナが、イエスによりシモン・ペトロ(岩)と呼ばれるようになりました。
このあとイエスは御自身の受難と復活を予告、ここから近い高い山(**)で弟子たちの前で御姿が変容しました。ここでイエスは今後歩まれる<道>について、父なる神から啓示を受け、弟子たちにそれを示し始めたのでした。

(**)この山は、古い伝承ではタボル山とされていましたが、地理的条件などからこの近くのヘルモン山とする説が有力です。


【マタイによる福音書 16章13〜20節】

 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

Photo: by いのちのことば社 「Jばいぶるマップ」、1999年
目次へ
イエスの足跡を追う −9− 宣教の最終の地・・エルサレムへ
 エルサレム神殿南城壁側から見た神殿の丘
 神殿の丘(境内)へ上る大階段

  マウスを写真の上に置くと長い南城壁の中の
  大階段の位置が表示されます。

 近年現在の南城壁の外に、神殿の丘に上る大きな階段が発掘されました。イエスもここに立って人々に語られたこともあったかもしれません。 この階段を登り城壁を抜け神殿境内に入ったところに「ソロモンの回廊」があります。 そこでイエスは商売をしていた人々を叱り追い出しました。


【ルカ福音書19章41〜48節】
 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁(ほうるい)を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、 彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。

Photo: by いのちのことば社 「Jばいぶるマップ」、1999年
and by Michal Mojzykiewicz (from "The World of the Bible")
目次へ
10
イエスの足跡を追う −10− 悲しみの道 (ヴィア・ドロロサ)
イエスが十字架の重みに耐えかねて、最初に倒れた
地点を記念する
第三ステーションのレリーフ
 母マリアと会われた地点を記念する
第四ステーションのレリーフ


 イエスが死刑の判決を受けた後、自ら十字架を負って刑場に向かわれた道は、「悲しみの道」(ヴィア・ドロロサ)と呼ばれています。この道の傍らには途上での出来事を記念する多くのレリーフがあります。
 このヴィア・ドロロサは、アントニヤ要塞(ピラト総督官邸)の跡地から聖墳墓教会の中へ続く道です。


【ヨハネ福音書19章16〜19節】
 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。 こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。

Photo: by  ヨルダン社 写真集 「聖書の旅」 副田信子、1993年
目次へ
次ページへ
 (以上)

 ↑  このページの先頭に戻る




























end