年会レポート 
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 第68回年会から・・・写真と主日礼拝メッセージ
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 3月6~8日に開催されました第68回教団年会から、取り急ぎ写真により皆様に様子・雰囲気をお伝えしたくここに掲載します。 細かい議事の内容・決議・人事などについては別途諸ルートでご報告申し上げます。
 なお最終日、日曜日の主日礼拝のメッセージは参加者のみならず、ナザレン教団の全ての皆様に発せられたメッセージ(説教)ですのでここに全文を掲載します。全国の皆様にお読み・受け止めていただければ幸いです。なお、メッセージ部分は文字サイズを大きく変更が可能です。
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年会風景・・・フォトレポート
 これらの写真は小林さん(国立教会)が提供してくださいました。
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教団年会 主日礼拝メッセージ
四旬節第3主日>  
2015年3月8日   礼拝説教

「信仰の目をあげよ!」   (石田 学 理事長)

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 子どもたちにも礼拝メッセージが・・・その様子 (写真)
◇ 聖書
   (引用・使用箇所は次の4箇所です)
     招 詞   新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3:1-4
     交 読   旧約聖書 詩編37篇
     聖書1   旧約聖書 ヨエル書 1:15-20
     聖書2   新約聖書 ルカによる福音書 12:54-56
聖書  < 新共同訳 >

1) 旧約聖書
ヨエル書 1:15-20

15 ああ、恐るべき日よ
主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る。
16 わたしたちの目の前から食べ物は断たれ
わたしたちの神の宮からは
喜びも踊ることもなくなったではないか。
17 種は乾いた土の下に干からび
穀物は枯れ尽くし
倉は荒れ、穀物倉は破壊された。
18 なんという呻きを家畜はすることか。牛の群れがさまよい
羊の群れが苦しむのは
もはや、牧草がどこにもないからだ。
19 主よ、わたしはあなたを呼びます。火が荒れ野の草地を焼き尽くし
炎が野の木をなめ尽くしたからです。
20 野の獣もあなたを求めます。流れの水は涸れ
火が荒れ野の草地を焼き尽くしたからです。


2) 新約聖書
ルカによる福音書 12:54-56

◆時を見分ける

54 イエスはまた群衆にも言われた。
「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、
『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、
どうして今の時を見分けることを知らないのか。」

(聖書 終り)



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  ◇ 主日礼拝説教 (石田 学理事長)         2015年3月8日

「信仰の目をあげよ!」

 わたしが少年の頃、祖母はよく、西の空を見て天気予報をしました。
夕焼けが濃いから、明日は雨になるだろう。
事実そうなることがありました。
イエス様の時代も、人々は雲や風向きで明日の天気を予測しました。
西に雲が出れば雨になるだろう。
西は地中海なので、西の雲は湿気をたっぷり含んでいるからです。
南から風が吹けば熱くなるだろう。
南は砂漠なので、南風は熱風を運ぶからです。
根拠さえ知っていれば、明日の天気は予測がつきます。
いつの時代、どの世界でも、年寄りの天気予報が当たったのは、経験をとおして根拠を知っていたからです。
イエス様もそうでした。
育ったガリラヤ地方の農民が天気を予測していたのでしょう。
西の雲や南風から天気を予測して、それが当たることをご存知でした。
いろいろなしるしを見て、明日のことを予想するのは、
天気だけに限ったことではありません。
天気の予測程度なら、はずれても対した問題はありません。
しかし、人が予測するのは、天気だけのことではありません。
人は誰でも未来を予測します。
わたしたちは誰でも、自分や家族の未来を予測します。
子どもたちは、新しい学校での生活を予測し、
青年は将来の働きや職業を予測し、
大人は老後の生活や自分の最後について予測します。
人はまた、民族や国家の将来を予測します。
世界や文明の明日を思い描き、未来を予測します。
経済の動きや株価の動きを読み解いて、未来の予測を立てます。
政治の動向や、世界情勢を読み解いて、未来の社会を予測します。
いつの時代でも、どこの世界でも同じです。
人々は未来を予測し、時代を見分けようとします。
人は常に時代を読み、未来を左右するしるしを見出そうとしました。
二千年前、イエス様の時代のユダヤでも、人々は未来を予測し、
時のしるしを見分けようとしました。
その果てに彼らが行き着いたのは、ユダヤ戦争という破局でした。
人々は時の見分け方を誤り、未来の予測を完全に間違えたのでした。
ローマ帝国に対して、絶望的な戦いを挑み、
徹底的な破壊と殺戮によって、ユダヤ人は世界各地に散らされました。
いつの時代も、人は時を見分け、未来を予測しようとします。
世界の中で起きている出来事や兆候、さまざまなしるしを読み解いて、
将来どうなるか、明日何が起きるかを予測しようとします。
その予測に基づいて、生活設計を考えたり、投資の参考にしようとします。
国家は未来の予測に基づいて、政策方針を立てます。
人は、世界のあらゆることを読み解いて分析し、未来を思い描きます。
しかし、それだけではだめなのです。
空や地の模様を見分けることしかしないなら、
つまり、この世界の中で起きる出来事やしるしだけしか見なければ、
人は未来の予測を誤ることでしょう。
その結果、間違った予測に基づいた対応が破滅を招くかもしれません。
今の時代も同じです。
もし、わたしたちが世界の中で起きている出来事やしるししか見ないなら、
わたしたちはこの世界の中だけのことで未来を予測し、
不確かな未来を思い描くことになります。
その結果、間違った対策や、誤った問題の解決を図り、
人と人、国と国の間に不信感と疑い、敵意と対立を深め、
やがて破滅への道を進むことになりかねません。
今の政権がおこなっていることは、まさにそのようなことです。
日本の経済力を回復するためという理由で大企業への優遇を進め、
国内に格差を作り出し、人間の尊厳を金銭によって貶めています。
近隣諸国と紛争が起きるという未来の予測を立てて、軍事増強を図り、
資源をめぐる国際競争や紛争を想定して、
世界各地で軍事行動ができるよう、憲法解釈を変更しています。
徴兵制は憲法上できないと首相は返答していますが、
その首相自身と政権は、憲法改定を目指す人々です。
憲法が変えられてしまえば、憲法に基づいて徴兵制が成立するでしょう。
テロリズムや反社会的犯罪が起きるという未来予測に基づいて、
言論の自由と基本的人権に制限が加えられ始めています。
人は未来を予測します。
しかし、もしこの世界の中だけのことしか見ないで未来を予測するなら、
都合のよい未来を予測してみせることによって、
不安をかき立てたり、現状が良いと思わせたり、
戦争が避けられないと信じ込まされたり、
力による解決しか方法がないと思わされることによって、
人々は誤りへと誘導され、間違いを犯すことになるでしょう。
イエス様は人々が雲や風で未来の天気を予測する話をなさいました。
それはただ単に、雨や暑さの予測だけのことではありません。
世界の中で起きることだけで未来を判断する間違いを指摘したのでした。

  偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、
  どうして今の時を見分けることを知らないのか。

「今の時」とは、世界で今起きている出来事という意味ではありません。
「今の時」とは、イエス・キリストの時、
神の御子キリストが来て、共におられる時を指しています。
「どうして神の子キリストが来ている時を見分けないのか」。
それがイエス様の言葉の意味です。
神が来られる。
神が天から降り、ここに来られる。
その時は、預言者の時代から「主の日」と呼ばれ、
特別な、恐るべき日とみなされてきました。
預言者ヨエルは、「主の日」についてこう語ります。

  ああ、恐るべき日よ
  主の日が近づく。
  全能者による破滅の日が来る。(1:15)

なぜ神が来られる時が、恐ろしい、破滅の時なのか。
それは、神が来られるなら、神は世界を勝手なままに放置しないからです。
その日には、人々がこの世界の中だけで物事を考えることができなくなり、
神の目と、神の裁きを意識しなければならなくなるでしょう。
ふだん、人々は世界の中で起きることだけを見て、未来を予測します。
神の目、神の裁き、神の愛、神の慈しみに心を向けようとはしません。
神の御子イエス・キリストが世に来られ、今も共におられる。
その事実を知っている人は、神を無視した生き方はできません。
「今の時」、すなわち神の御子が来て共におられる時を見分けて、
その事実に基づいた未来を予測しなければいけないからです。
神の御子が来て共におられるのだとしたら、
世界の中だけしか見ないのは間違いです。
わたしたちは、主キリストが来て共におられる今の時を見分けながら、
この世界を見て、未来を予測するべきです。
たしかに、この世界は理不尽で、悪や不正が広がっています。
この世界だけを見れば、悪い方へと向かっているとしか思えません。
人を消耗品のようにみなし、人間を等級付け、富を一部の人に集中させ、
多くの人々を貧困に追い込み、不平等な格差社会を築く人々が、
成功者のように見え、彼らの仲間になることが益だと思い込ませます。
そのような現実は、今に始まったことではありません。
すでに詩編37編の詩人が、
世の中の悪事や不公正を目の当たりにする人々に呼びかけて、
力強く歌い上げています。

  悪事を謀る者のことでいら立つな。
  不正を行う者をうらやむな。(1節)

悪事や不正を見て、怒りが心を支配したり、
そのことでもうけたり成功したりしている人をうらやむ人々がいたのです。
しかし、続けて詩人は、信仰深い人たちに向かって呼びかけます。

  彼らは草のように瞬く間に枯れる。
  青草のようにすぐにしおれる。
  主に信頼し、善を行え。
  この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
  主に自らをゆだねよ。・・
  あなたの道を主にまかせよ。(2-5節)

詩人は、この世界の現実だけで未来を予測するなと告げるのです。
神がおられる。
その事実を同時に見なければいけないと、詩人は訴えます。
わたしたちは、神の御子が世に来て、今も共におられることを信じます。
だから、この世界の現実だけでなく、神がおられることを踏まえて、
その上で、未来を考えなければいけません。
信仰の目で世界を見るなら、
この世の現実だけではなく、
神の御子が来て、共におられる現実をも同時に見ます。
世界はすぐには変わらないかもしれません。
でも、この世界の現実が恒久的で最終のものだとは信じません。
神が、この世界を現実のままで放置することはないからです。
そして、なによりも、わたしたちは知っています。
わたしたちの望むべき永遠の世界は、天の本国にあるのだと。
上を見れば、そこに目指すべき世界、本来あるべき世界、
わたしたちがいつか行くであろう、希望に満ちた世界の姿が見えます。
だからこそ、パウロはコロサイの教会に宛てた手紙の中で、
この世界の現実ばかりに目と心を奪われてしまっている人々に対して、
あの、決定的に重要な一言を命じたのでした。

  あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、
  上にあるものを求めなさい。(3:1)

「上にあるものを求めなさい」。
それは、この世界を見ないようにしなさいということとは違います。
世界のことは忘れなさいということでもありません。
わたしたちは、神の国とこの世界の両方を、同時に見るのです。
わたしたちは、この世界の現実と、神の国の現実、
その両方を見比べて生きる者とされています。
そのことを通して、この世界の現実を神の国に基づいて読み解き、
この世界の現実がなぜ間違っているのか、どこが問題なのか、
本来どうあるべきなのかを自覚し、語り、祈り求めること。
それがわたしたちクリスチャン、すなわち神の民の生きる大原則です。
いま、キリスト教は大きな転換点を迎えています。
今から50年から70年前、日本にキリスト教ブームが起きました。
軍事力に依存した全体主義国家の価値観が崩れ、
多くの人々がキリスト教に心惹かれ、クリスチャンになりました。
その時代の方たちが永らく日本のキリスト教を支え、
教会の働き、伝道と世の福音化の働きを担い、
教会を経済的に支えて来られました。
いま、わたしたちはその世代の方たちを天の御国に送りつつあります。
クリスチャンの人数は減り、教会の財政は縮小します。
世の人々の無宗教、無信仰はいっそう進んでゆきます。
日本だけでなく世界は、不信、対立、争い、そして格差が深まっています。
そのようなこの世界の現実だけを見る時、わたしたちは意気消沈させられ、
今あるものを守るだけに専念して、タラントを土に埋めようとするでしょう。
そのような時代である今だからこそ、信仰の目を上げましょう。
神がわたしたちに何を求め、何を望ませようとしているかを見ましょう。
神の御計画がわたしたちを用いることを確信しましょう。
不安にさいなまれるのではなく、信仰的な挑戦をしましょう。
恐れに負けるのではなく、キリストの勝利を信じましょう。
今あるものを守るのではなく、あるものを主のために用いましょう。
きょうここに集うのは、世の流れに翻弄される放浪の民ではなく、
キリストという岩に立つ信仰者の群れです。
わたしたちは信仰の目を上げ、
信仰に基づいて世界を見て生きようではありませんか。
それが、神を信じる者、
神の御子キリストが共におられると信じる者の生き方です。
わたしたちナザレン教会は、そのような信仰的確信を抱く者の群れです。
この群れは、人々に愛を示しながら、世を旅します。
わたしたちナザレンの群れは、憐れみを世に示しながら歩みます。
ここに集うナザレン教会の民は、信仰の目を高く上げ、
喜びをもって主に仕える神の民であることを胸に抱いて、
ここから再び世の旅へと出てゆこうではありませんか。

最後に、日本ナザレン教団宣教宣言、
「喜びをもって主に仕え」を宣言いたします。
わたしたちは、教会が主イエス・キリストの十字架と復活により
罪あがなわれ、召されて聖なる者とされた神の民の共同体であると信じます。
教会は神の国を目指して世を旅する神の民の群れであると同時に、
この世に神の福音を宣べ伝え、
御旨を表す使命を授けられて生きる神の民の群れです。
わたしたちは、父なる神が福音を世にもたらすために御子を遣わされたように、
御子キリストが福音を世に告げ知らせるために
教会を遣わしておられることを信じます。
わたしたちは主キリストに遣わされた者として、
神の国と神の義を第一に求め、聖化の恵みに感謝し、
「キリストに倣う弟子」にふさわしい生き方を心がけます。
わたしたちは主に遣わされた者として、霊と真実をもって神を礼拝し、
愛と憐れみ、和解と平和の交わりを、教会の内においても外においても作ります。
わたしたちは主に遣わされた者として、良い時も悪い時も主の救いと恵みを証し、
あらゆる機会と方法を用いて福音を宣べ伝えます。
わたしたちはこの世の支配者、権力者の側にではなく、主キリストに倣って、
弱い者、小さい者の側に立ち、平和の福音の使者となります。
わたしたちは、この福音宣教の業にあずかる者とされたことを主に感謝し、
喜びをもって主に仕えることを、ここに宣言します。

(以上)


礼拝の中では、
子ども達にも理事長から礼拝メッセージが伝えられました。

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