良い隣人になって、共に生きる
タイ宣教報告
         (2007年10月号)

Japan Nazarene Compassionate Ministries

(日本ナザレン教団)
日本ナザレン国際援助委員会
所在地 : 153-0042 東京都目黒区青葉台4丁目7番6号


"Compassionate as a Christian life style" 
(キリスト者の共感の実践を実現していく働き
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親愛なる皆様へ

                       9/30/2007 平原知之 宣教師・セニー 宣教師

 
疲労、挑戦、適応、期待、お祝い、笑顔・・
 疲労、挑戦、適応、期待、お祝い、笑顔・・これらは私たちの数ヶ月をまとめる言葉です。7月17日バンコックから津波被害の大きかったPhangNga地方に転勤しました。ここはバンコックから862k南で、4225人が2004年12月の津波で亡くなりました。今まで私たちは被害者に救済支援を行い、建物をたて、相談にのり、関係つくりをタイ・ナザレンの牧師、奉仕者、信徒と「ラブジャーニー(愛の訪問)」としてやってきました。私たちはそこで神様のみ言葉を受け、ここへ転住することを示されました。またそれはタイ・ナザレンの長期的な宣教方針でもありました。そこで3月23日から4月2日にナザレン・バンニアンセンターの仕事に区切りをつけ、PhangNgaに教会を建設し、セル活動を始めて霊的なニーズに応えることに致しました。 

4月27日から5月21日に米国と日本に行き、ニューヨークの神学校でセル教会の学びを行いました。その後ピッツバーグの教会でセル活動を体験しました。またナザレン神学校の図書館での調査と研究者に会いました。セニーはNCMの国際AIDS責任者と会いました。その後2人は日本へ行き、関東地区牧師会でPhangNga地区における開拓伝道を説明いたしました。
日本では家族に会い、AIDS/HIV施設を訪問し、故郷のCell教会を訪問することが出来ました。

その後、セニーは病気になり、転勤の前にバンコックの病院に行きました。PhangNgaには大きな病院がなく、1時間半掛かってプーケットまで行かなくてはなりません。セニーには食事療法が課せられ、力が出なくなり、引越しの労働には苦労致しました。セニーの健康のためにお祈りください。


PhangNgaでの日々(多くの課題)

1. PhangNgaは毎日雨が降ります。強い雨のときは屋根から水もりして本が濡れてしまいました。修理してもらったのですが強雨のときはかえって漏るようです。トモは毎日天井に上りタオルをつるし、鍋に水を受ける必要があり、「おしめを代えて!」と言って笑っています。時々濡れたタオルを代える必要があるのです。

2. 土地の人は泥棒に気をつけなさいと言ってくれます。家主さんは窓とドアをつけてくれると約束してくれましたが、なかなか工事に来てくれませんでした。

3. 業者はとにかく遅く、忍耐、忍耐、忍耐です。屋根の修理も台所も始めてくれましたがまだ完成しません。

4. 公共交通が無いので、今まで使っていたバンを売って、四輪駆動の小型トラックを買いました。訪問したり他の村に行ったり、洪水の道を行くにはこの方が便利で、セニーも運転を勉強しています。

5. セニーがナスを切ったとき、中に虫がいて虫まで切ってしまいました。トモは叫んで、「すごい、無農薬野菜だ!」 でも次のナスには虫はいませんでしたが新鮮でした。

6. 本箱や家具が必要ですが、プーケットまで行かないと無いので、トモは自分でそれらを作ってしまいました。さらに家の配線をしてコンセントを追加したり、トイレを直したり、電気洗濯機を直したりしました。セニーは何でも出来る夫をもってとてもラッキーでした。

7. ここには大きなスーパーマーケットはありません。コンビニのセブンイレブンと青果屋だけで、時々プーケットまで買い物に行きます。魚は近くの海で取れたものをモルガン族の人が売っています。セニーは自分で魚をさばく必要がありますが、新鮮で健康にはいい食材です。

8. 仲間や他の教会のクリスチャンが突然やってきて、果物など持ってきます。木から取立てで蟻がまだ付いています。仕事をやめて、1,2時間話しますが、話していると疲れが休まります。笑顔と色々と手伝ってくださるので、歓迎されていることを知り感謝しています。

9. 私たちは長屋のようなところに住んでいます。塀越しに隣の人と話したり、果物や食べ物を交換します。隣人は猫を飼っており、トモは隣家が留守のときは餌をやっています。子猫が4匹生まれ、今では我が家にいることのほうが多いくらい懐いています。

10. 私たちは時にはラーメン屋や小食堂で外食し、人々を知り、出会うようにしています。かなり長く話すこともあり、津波被害の救済のことを思い出して、ラブジャーニーなどで奉仕してくれたことを感謝してくださいます。

11. この地区でアメリカ、シンガポール、フィリピンの宣教師と知り合いになりました。3人のフィリピンの方はバンコックでの知り合いで、同じように転勤してきました。津波被災地区の宣教師、牧師の会合にも参加するようにしました。

12. 私たちはこの地域のいくつかの教会に出席しています。この地に教会を立てるために来たことを話しています。牧師や宣教師は歓迎してくださいました。私たちは礼拝に出席するが、そこの会員との関係つくりはしないと話しております。

9月12日(水)にインドネシアで地震と津波がありました。ここまでは被害はきませんでしたが、住民は恐怖に包まれ、高台に非難し、2004年の悪夢を思い出してパニックになっていました。改めて住民の皆さんと話し、その心の傷の大きさを知り、彼らの状況を聞いたり、水曜日はどこに避難したのかを聞きました。彼らは怖がっており、改めてこの人々とともに歩む決意を致しました。日本の皆さんからその時メールや電話で心配してくださり、祈っていただいたことを心強く感謝します。

またナザレンユースから紹介された施設や人々を訪問しました。HIV被害の方にもお会いしました。今後ともこれらの訪問を続けます。

当面今までどおりの宣教活動を続けます。トモはジーザスフィルム伝道とSEANBCでの教育です。セニーはNCMコーディネーターを続けます。宣教の本拠地がバンコックからPhangNgaに移ったことになります。東南アジアの皆様との交流は続けます。セニーはバンコックのHIV/AIDS活動に電話会議で参加しています。またセニーはNew Life for ThaiのメンバーとPhangNgaにおけるHIV/AIDS救済活動や啓蒙のあり方を話し合ってゆきます。

今後の計画

2007年10月:バンコック出張、宣教会議、トモは刑務所訪問、セニーはHIV/AIDS支援者会議、被害者訪問。二人はナザレンユースの結婚式に出席します。

2007年11月:コロンビアCali出張、第一回国際ナザレン教会コンベンション。
       セニーはバンコックのアジヤを結ぶ国際会議でAIDSワークショップを主催する。
2008年6月: 米国カンザス神学校でのセミナー出席
2008年8-10月:日本での宣教報告

私たちはゆっくりですが元気にやっています。常に二人は話し合い、お互いに注意をして、笑顔で、「PhangNgaに着てよかったね」と言っています。ここで宣教できて幸いです。困難や不便はありますが南タイランドの扉を開き、開拓伝道を目指しています。ここでは神様の創造の素晴らしさ、山々、海、鳥たち、新鮮な魚、果物、涼しい風などを知ることが出来て、主を賛美しています。たのしんでここの人々と会い、話しています。この地で他の牧師や宣教師との友情を感謝しています。

お祈りを感謝いたします。  
                                   トモとセニー 平原
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