ナザレン新報(3月号) 
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 ナザレン新報 3月号の記事から

ここでは 「ナザレン新報」から 記事を抜粋、紹介します。

巻頭言     地の塩     教団往来    その他の記事リストはこちら
巻頭言  2015年 3月号

 日本ナザレン教団は1907年に京都の地で宣教を開始してから107年が経ちました。神様の憐みと先達の労苦によって今日のナザレン教団が建て上げられてきたことは真に感謝すべきところです。ではこれから50年後、100年後の教団の展望はどうなっているのでしょうか。
 2010年「ナザレン宣教プロジェクト」がスタートし、宣教宣言と共に日本ナザレン教団の宣教使命を確認し合いました。「喜びをもって主に仕えよ」私たちは喜んで主と教会に仕え福音宣教に全力を注ぐことを決意しました。しかし私たちの現実は牧師も信徒もいよいよ高齢化しています。若い信徒はと言えば多忙の中にあり、伝道も教会形成も積極的に関わることが難しく、なにしろ今をこなしていくことで精一杯の状況ではないでしょうか。高齢者は高齢者で「高齢になったから、余計なことは言うまい、余計な手出しはすまい」と消極的になりがちです。そこには先のことは後の者に任せれば良い。何とかなるだろう。そんな思いが潜んでいないでしょうか。 賢王と呼ばれたヒゼキヤでさえ晩年はそのような思いを抱いていました。ヒゼキヤ王は病気になった時、バビロンからの病気見舞い使節団に気を良くし、宝物庫の全て、武器庫にある一切を使者たちに見せました。この愚かな行為に、イザヤは「あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものがバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る」と叱責しました。でもヒゼキヤは自分の愚かさを神に悔い改めるどころか「あなたの告げる主のことばはありがたいものです」と答え、自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた(列王下20章)とあります。ヒゼキヤは自分の代が良ければ50年後、100年後のことは私には関係ないとばかりに、自分の愚かさの付けを後代に負わせることを良しとしたのです。
 私たちはそうであってはなりません。50年後、100年後の後輩たちがこの日本で根を張って、日本ナザレン教団の旗印を掲げてキリストの福音を宣教できる基盤、地固めを今、この時代に私たちが負うべきです。先達の労苦の実を食べている私たちは食いつぶしてはならないのです。「心ならずも後世に付けを回す結果となってしまった」ということにならないように、祈りのうちにことを見極めていかなければなりません。先達の労苦があって今日の私たちがあることを思えば、私たちも今、老いも若きも力を出し合って精一杯労し、教会の足腰を強めておく必要があります。後世が苦労をすることが目に見えている問題については先送りしないで、これこそ今、私たちが犠牲を払って解決しておきたいものです。本部ビル問題も真剣に取り組みたいものです。第68回年会において教団が一致して信仰と思いを一つにして教団を前進させて欲しいと心から願う者です。
   (以上)


 地の塩  (2015/3)
別府教会 小川 勝則牧師

▼今回の「イスラム国」で起きた日本人の人質事件は、世界の人々の目をくぎ付けにした。2つの命のいくすえを案じ固唾をのんで見守った。最終的に私たちの期待通りにはならず憤りと痛恨の極みを味わった。かたや日本国内では「殺してみたかった」と少女が殺人事件を起こした。▼いつ頃からこんなに人間の命を軽視するようになってしまったのだろうか。世界中のすべてのものをもってしても命に代わるものは何もない。それほどに命は尊くかけがえのないものである。どんな理由にせよ人為的作為によって人間の命に手を加えてはならない。▼なのにこどもたちはゲームの世界に命を持ち込みバーチャルの世界に興じている。命を尊びいとおしく思う心が育つわけがなく、戦争に対し否人間の命に対して危機意識をもつ者がいなくなっても不思議ではない。十戒の言葉に「殺してはならない」(出エジプト記 20:13 )とある。今こそこのみことばを学ぶときである。
 教団往来  (2015/3)

《3月の教団の動きから》
【全般・共通】
 ・5日(木) 理事会
    於:大阪 ホテルコスモスクエア  国際交流センター(「年会会場」と略)
 ・6日(金)〜8日(日) 教団年会 こちらをご覧ください
 ・7日(土)午前9時 ナザレン神学校卒業式  於:年会会場
    (以上)



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