ふくいん(3月号) 
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 ふくいん 3月号の記事から
ここでは 月刊誌 「ふくいん」から 記事を抜粋、紹介します。
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 今月のふくいんメッセージ (2015/3)

 苦難からの解放


宜野湾教会(牧師) 高松 勉
 3月といえば「卒業」のシーズンです。小、中、高校、大学等の学校では、卒業式が開かれます。卒業は、児童、生徒、学生らが学びを修了したことの証しです。では、卒業とは、単に学びの修了だけを意味するのでしょうか。けっして、そうではないと思うのです。むしろ、人の数だけ卒業の意味が存在しているのではないでしょうか。
 わたしは、今から二十数年前、岐阜県の山間部にある某高校を卒業しました。わたしは、3年制の普通科の高校に5年間在籍していました。なぜなら、不登校で2回留年したからです。(不登校の理由はさておき)わたしにとっての高校時代は、暗黒の5年間でした。当時、「登校拒否」と何の関係もない人たちからは揶揄され、留年のたびに机を並べるかつての下級生たちからは、嘲りの眼差しを何度も向けられました。それでも、高校卒業の資格を取得するためには、したたかに耐え続けるしか道はありませんでした。そんなわたしにとって卒業の最も大きな意味は、「苦難からの解放」だったのです。卒業式の翌日、大学に進学するため、わたしは故郷を後にしました。わたしを知る人が一人もいないところで、誰からも過去を問われることなく、新たな人生の一歩を踏み出すことができたのです。 わたしはここに、すべての人を苦難から解放し、暗黒の時代を終わらせてくださる方を知っています。今から二千年前、ユダヤ地方の小村ナザレから出たイエスというお方です。イエスさまは、当時社会の中心に鎮座していた宗教指導者たちに向かって、次のようにいいました。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコによる福音書2章17節)「正しい人」とは、自らを正しい者とし、他者を見下ろし、他者を抑圧する者たちです。まさに、宗教指導者たちがそこに含まれます。また「罪人」とは、正しい人から「罪人」とのレッテルをはられ、抑圧され、社会の片隅へと追いやられてしまった人たちです。徴税人などの忌み嫌われる職業についていた人たちや病人などがそこに含まれます。
 イエスさまは、このような罪人に声をかけ、ともに食事をし、病を癒し、またある者を弟子として招き入れました。イエスさまに触れた者たちは、苦難と暗黒の過去から解放され、命を吹き返し、社会へと復帰し、人生の新たな一歩を踏み出していったのです。そんなイエスさまは最後、自らの命を十字架の上でささげました。それは、すべての人間の身代わりの死でした。その死は、わたしたち人間が神さまとともにある人生を歩むために、神と人間との平和を回復するためのものでした。
 わたしたちは聖書を通してイエスさまの生きざまを知り、また、イエスさまの十字架での死の意味を知ることができます。そのことによって、この世のさまざまな苦難にあってもなお、生き続ける力が与えられていくのです。
 (以上)


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